人間は、伝承と創造を繰り返す。
誰だって、創造者になれる。
人間は、
伝承と創造を繰り返す。
誰だって、創造者になれる。

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PROFILE

Hideki Ota

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東北福祉大学社会福祉学部社会教育学科卒業。東京都の特別支援学校教員として勤務、2006年より特別支援教育コーディネーター。千葉大学大学院教育学研究科特別支援専攻修了。修士(教育学)。2020年4月より東京未来大学こども心理学部准教授。

専門:

特別支援教育

主な担当科目:

特別支援教育、障害児保育

  • 教育に興味をもったきっかけは?

    遊びに全力だった子ども時代。
    行きあたりばったりの中でもがいた青春時代。

    毎日遊ぶことで大忙しの子どもでした。ヌンチャクの練習。ヨーヨー、メンコ、ゲイラカイト(洋凧)。どうやったら強くなるか。野球、サッカーの練習をした後は、自転車を飛ばして新しい駄菓子屋の開拓に走ったり。だから一日があっという間。勉強する暇なんかないんです。中学になったらラジオから流れてくるロックやポップスに夢中になった。当時はまだFMがNHK FMしかなくてね。甲斐よしひろや坂本龍一、ロッキング・オンの渋谷陽一、佐野元春とか出てた『サウンドストリート』という番組に夢中でした。ラジカセスタンバイして録音したりして、次の日学校で話すのが楽しかった。漫画も好きでしたね。当時は貸本屋というのがあって、毎日通ってた。ジャンプ、サンデー、チャンピオン、マガジン、全部読む。ボクシング漫画『がんばれ元気』とか、『こち亀』の連載も始まってましたね。江口寿史の『ストップ!!ひばりくん!』とかね。こんな風にいろんな創造物をシャワーのように浴びてましたね。なんでこんな話をしてるかっていうと、これが自分の原点なんです。漫画家であれば漫画を描く。ミュージシャンであれば音楽を作る。この人たち、表現しなきゃ生きていけないんだなって思った。たまたま漫画家、たまたまミュージシャンなだけ。私が尊敬している脚本家は山田太一なんですけどね。彼がドラマを作ったことで、その後のドラマって変わったと思うんです。それを見た新しい世代が影響を受けて、次の物を作る。あの宮藤官九郎だって彼のドラマ見ていると思うんですよ。(朝ドラの)『あまちゃん』を見ていても、家族の描き方とか共通するところがある。こうやって伝承されていくんだなって思いました。それで、当時中学生だった僕もさまざまな作品に触れて、音楽や映像の表現者、創造者になりたいと思ったんです。でも、いまこうして教員になっていますけどね。自分のなかでは、つながっているんです。生徒や学生に教えることも、論文書くこともおんなじだなと。伝承と創造だなと。
    話を戻しますが、こんな毎日だったので、勉強は全然ダメで、気づいたら下から数えた方が早い成績なんですよ。もちろん高校を選べる立場ではなかった。なんとか高校生になれたものの、偏差値の低い学校だと周りから馬鹿にされている感じがあって、それが腹立たしかった。でもそれよりも面白くなかったのは、高校の友達が「俺たちバカだからしょうがないよね」と開き直っていることでした。馬鹿にされているのに、なぜヘラヘラしていられるんだ、と怒りが込み上げた。

    青春時代は、行きあたりばったりの毎日でした。高校卒業後は、何をしてよいか分からずフラフラし、結果的に仙台の寮付きの予備校に入ったのですが、そこでも勉強よりも「何かを生み出したい」という気持ちが溢れて止まりませんでした。自分とは違う人間の、自分とは違う人生の話も刺激になった。「名門校にいたのに、大学に落ちてバカにされた」と悔し涙を流す友人。やり場のない思いを滲ませる友人たちの話を聞くと、また怒りが芽生えてきた。人はみな平等であるはずなのに、なぜ現実は生まれた場所や学力や経済力で差別されるんだろうかと。音楽や映像の道に進みたいと思っていたけど、自分には才能がないと気づいた頃でもありました。当時、尾崎豊が『15の夜』を歌い、ダウンタウンがデビューして新しい漫才を切り拓こうとしていた。若者のエネルギーがいろんな分野で湧きあがろうとしている。そんな時代でした。勉強は得意じゃないけど、人間には興味がある。プロのミュージシャンや作家にはなれないけど、人の領域ならできることがあるかもしれないとなんとなく思った。しかし当時の大学進学の壁は厚く苦労しましたね。結果的に、特に興味もなかったのですが、大学は福祉大学に進みました。小中の先生に可愛がってもらったこともあり、なんとなく教員の免許を取ろうかと考えるようになりました。当時付き合っていた彼女から「太田くんは先生になった方がいいよ」と言われたことも小さなきっかけでしたね(笑)。教員免許を取るためには中学校での教育実習と、養護学校(現在の特別支援学校)での教育実習が必要です。そこでまず母校へ教育実習に行ったのですが「態度も言葉遣いもなっていない」とけちょんけちょんに言われたんです。やっぱり向いてないなと思った。ところが、特別支援学校では「君は教師になるべきだ。子どもたちの反応が何よりの証拠だ」と大絶賛していただいた。道が決まらず、遠回りばかりでしたが、猛勉強の末、東京都の教員採用試験になんとか補欠合格。教師人生を歩むことになりました。

  • これまでの取り組みについて

    障害のある子どもたちが
    坂本龍馬や高杉晋作になりきる。
    着物を着て、演じながら歴史を学ぶ。

    特別支援学校の仕事は、いろいろありましたがやはり楽しかったですね。まず、実質的には教科書がない。子どもたちとこんなことをやってみたいと提案すると、反対する人がいない。いいね、やってみようと賛同してもらえる。運動会で演技指導をしたり、沖縄の修学旅行で平和学習を取り入れたり、生徒会でバンドを組んでみたり。本当にいろんなことを自由にやらせてもらいました。特に印象に残っているのは文化祭で行った「幕末青春伝」という劇ですね。演じながら幕末の歴史を学ぼうという目的で、坂本龍馬役や高杉晋作役を生徒に割り振って、みんなで劇を作り上げました。演技と映像を組み合わせて当日上演したらきっと盛り上がるぞと思って、大雨の中ロケも敢行しました。着物を着て、皇居外苑の北の丸公園を歩く。演じる。その子どもたちの姿を見て、真夏の夜の一瞬の花火を見るような胸の震えを感じました。当日の観客のみなさんも同じ気持ちになったのでしょうか。私も、先生方も、親御さんもみんなで涙を流しました。こんなに面白い取り組みをそのままにするのはもったいないよねと『特別支援教育時代の青年期教育―生徒たちとつくる青春と授業』という本にまとめました。私はやっぱり実践が好きなんです。前後して、ご縁があって全国障害者問題研究会という団体の雑誌『みんなのねがい』の編集会議にも参加するようになりました。日中は仕事、夜間は研究会という忙しい日々でしたが、いろんな出会いや刺激があり充実の日々でした。

    そこからまた一つ転機がありました。特別支援教育コーディネーターにならないかと上司から提案されたのです。自校だけでなく、地域の学校の子どもたちや先生方を支援する仕事です。それまで私は学区域の障害児はみんな特別支援学校に通っているものと思っていたけれど、実際はそうではなかった。特別支援学校に来ている子はほんの一部で、通常学級にも支援を必要とする子どもがたくさんいたんです。彼らを支えるために、現場の先生方を支えることは意義のあることだと思いました。そうして巡回相談が始まりました。しかしながら、いざやってみると当時の私には、アドバイス力や、コーディネーターとして支援体制を整える能力が不足していると実感しました。しっかり学ぶために夜間に千葉大学の大学院に通うことにしました。師匠となる北島善夫先生と出会ったのはその時です。実践を論文に落とし込んでいくプロセスは簡単ではありませんでした。しかし現場を見ると、分析しなければならない課題もやるべきこともたくさんある。私自身が一人で支援することに限界を感じていたこともあり、もっと多くの教員を支援するためには現場でやっていることを肌感覚ではなく、学術的な形として残さないといけないと強く感じました。時間はかかりましたが、無事、論文を形にすることができました。ご指導くださった北島先生には感謝しかありません。

  • 教育ポリシーについて

    古いものと新しいものがぶつかって火花が散る。
    当たり障りが、あった方がいい。
    恐れることなく、ぶつかってほしい。

    ご縁があってやってきた東京未来大学。このホームページは研究者紹介コンテンツとのことなのですが、実は私は自分を「研究者」だとあまり意識していないんですよね。たまたま今は大学教員という肩書きなだけと理解しています。その時々で自分に生み出せるものを生み出したいとやってきたら、たまたまここに辿り着いた。だから学生のことも、「教える相手」というよりも、ともに学び、ともに何かを生み出す仲間だと思っています。それは特別支援学校の教員をしていた頃から変わりません。ダウン症や自閉症といった名前がついていても、彼らは障害児である以前に、ひとりの人。その人なりの意思や好きなことといった「個」を何よりも大切にしてきました。一人ひとりの個があった上で、みんながつながる集団をつくること。それは特別支援学校でも大学でも同じように意識しています。

    東京未来大学の教育には、「理論」を学び「実践」することで、さらに学びを深めるという特色がありますが、うちのゼミも徹底した現場主義です。去年、学生たちと公園へ視察に行きました。インクルーシブ公園を新設したというので、見に行ってきたのです。今は多様性の時代ですよね。これまで、障害や年齢、性別・ジェンダーなどによって、排除されてきた人たちをインクルーシブ(内包)するデザインのことをインクルーシブデザインといいますが、その公園にはインクルーシブデザインによる遊具が設置されていました。たとえば、ブランコなら背もたれやハーネスがついているタイプ。身体に麻痺がある子でも乗れるように工夫したデザインなんですね。学生たちと公園で実際に遊んだりすると、「下がコルク状で柔らかいから、転んでも大丈夫なようになっているね」など、新たな発見もありました。また、遊具一つとっても、これを作った職人さんがいるわけですよね。現場に足を運んで触れてみると、どう遊んでほしいのか作り手の想いや息遣いが聞こえてくるわけです。それを汲み取ることもとても大事なことだと考えています。若いみなさんには、いろんなものを見て聞いて、自分の想いや考えを表現してほしい。最初に伝承と創造の話をしましたが、教育も伝承だと思っているんです。先人たちが生み出した遺産を受け取って、次へと伝承していくこと。そのまま受け渡すわけじゃないですよ。古いものと新しいものがぶつかって、火花が散って、また別の何かが生まれる。もちろん、伝承とは、特別な人だけのものではありません。子どもたちに指導することも、親が子どもを育てることも伝承と言えるんじゃないか。誰もが伝承を受け取っているし、誰もが創造することができる。だから、何にも縛られることなく思い切って表現してほしいんです。
    「最近の若者は…」という言葉、ありますよね。これね、昔も言われてたんですよ。自分たちも上の世代から言われてきた。でも、そう言われながらも、新しい何かを生み出して、歴史は変わっていく。ミュージシャンのボブ・ディランは『The Times They Are A-Changin’ (時代は変わる)』で「若者よ、今は敗者でも未来はわからないぜ」と歌っています。経験がなくても、突拍子がなくても、いいんです。若くてダメなことなど何ひとつありません。「自分ってなんなんだろう。何しに生まれてきたんだろう。何ができるかわからないけど、何かしたい」と思っている若者が何かを生み出す瞬間に立ち会いたいですね。そんな若者と何かを生み出してみたいのです。

若くてダメなことなんかない。
二度と戻ってこないエネルギーがある。
きっと何かを生み出せる。
当たり障りのある人がいい。
手に負えない?
そんな若い人に出会いたいね。

Humans3つのキーワード

  • 01吉田拓郎とあいみょん

    文化とはタンポポの種みたいなものだ。時代という風に吹かれてどこかに飛んでいき、無自覚に好きなところでまた咲いていく。70年代に拓郎のまいた種は、80年代から90年代にかけて浜田省吾や尾崎豊、桜井和寿らが受け取り、それを聴いたあいみょんのもとで新しい花を咲かせたように思う。拓郎の『流星』(1979年)とあいみょん『裸の心』(2020年)を聴くと、時代を超えて継承されていく音楽文化がよくわかる。教育実践も同じなんだと感じます。

  • 02絵本『花さき山』『半日村』

    一度見たら忘れることができない滝平二郎の切り絵。そして、無骨に人間の本質を伝える斎藤隆介。教科書でお馴染みの名作『モチモチの木』もよいが、人の心に花が咲くという『花さき山』や、冷笑されながら地域を変えていった少年の『半日村』が好き。戦争の映像がまるで他人事のように流れ続けるこの時代に、平和と自由の祈りを静かに伝えてくれる。25年前、知的障害の子ども達と舞台化した日を思い出す。JR石岡駅のステンドグラスもいつか見に行きたいと思っています。

  • 03詩人・吉野弘さん

    小学4年生の時、友達と外で宿題に出された絵を描いていた時です。通りがかりのおじさんが私の灯台の絵を見て「描き方がいいね」と声をかけてきました。会話をして「君は面白いやつだな」と言って写真を撮ってくれた。後日送られてきた写真には、吉野弘の名前が。なんと、私の母校の校歌の作詞も手掛けている有名な詩人でした。彼に「君はいいものを持ってる。一方的で自分勝手だけど、いい奴だな」と言われたことは、今でも嬉しい思い出です。

こんなこと学べます、
ゼミ生たちの卒業論文

聴覚障害児者に対する理解と支援ー手話を取り入れたインクルーシブ保育の検討ー/発達障害とともに生きるー過去の状態像から検討するこれからの生き方ー/ダウン症児の理解と支援の検討ーアセスメントとインタビュー調査からー/自治体Aにおける発達支援の現状と課題/気になる子を育てる保護者に対する支援の検討/インクルーシブ保育における問題意識と実践の検討/コロナ禍における聴覚障害者の困難と支援の検討/映画の中の発達障害者の困難と理解のプロセス

など

著書・論文

  • 実践事例を通して具体的なかかわりを学ぶ 保育現場における特別支援

    [著書]共著/教育情報出版/2023

    保育現場における、特別支援教育の観点を取り入れたケースカンファレンスの手法、園内研修、小学校の特別支援教育コーディネーターとの連携の在り方について概説した。

  • 外部専門家が知的障害特別支援学校において機能するための要件の検討

    [論文]単著/日本発達障害学会/2019

    特別支援学校における外部専門家が有機的に機能するための要件を明らかにした。特に、両者をつなぐ役割が期待される特別支援教育コーディネーターの機能と必要な支援体制整備について考察した。

  • 中学校期に不登校を示した発達障害生徒に対する学校適応を促す条件ー特別支援学校のセンター的機能の活用とコーディネーターの役割ー

    [論文]単著/日本発達障害学会/2019

    中学校期に通常学級において長期不登校状態に陥った発達障害生徒に対し、特別支援学校センター的機能を活用した支援とその効果を検討した。地域で求められているセンター的機能の在り方を考察した。

  • 特別支援教育時代の青年期教育 ー生徒たちとつくる青春と授業ー

    [著書]編著/群青社/2006

    全国の特別支援学校高等部において取り組まれた教育実践をまとめた。教育は文化遺産の伝達であるという視点を踏まえ、青年期という年齢に相応しい教育実践の創造が生徒達から求められていた。

研究者詳細

Humans